小林登先生は、海軍兵学校(75期)をへて東京大学医学部に進学され、卒業後は長年にわたり小児科分野において教育・臨床・研究に従事され、その後東京大学医学部名誉教授、国立小児病院名誉院長としても長く活躍されました。 また、認定特定公益信託日本白血病研究基金の創立にご尽力され、創立後は長年にわたり本基金運営委員長として基金の発展に多大な貢献をされました。
1983年5月、荻村孝氏(オギムラタカシ・32歳)が慢性骨髄性白血病との厳しい闘病生活の末永眠致しました。 孝氏は大学卒業後アメリカに留学し、帰国して家業を継ぎ、結婚し、これから人生が開けるという矢先に発病し 帰らぬ人となりました。 孝氏を失ったご両親の荻村一氏、和代氏(ハジメ、カズヨ)は、悲しみが癒されぬ5年の日々を送る中で、 「愛する息子を奪った白血病を撲滅し、同じ悲しみを繰り返させたくない。これからという時に他界した息子の為に、何か息子の名前で社会に貢献したい。」という強い思いから、5000万円を基金として「荻村孝記念難病研究振興基金」の設立をお考えになりました。
一方、東京大学病院で小林登教授の下、小児科医師として、白血病の子ども達の治療に情熱を注いでいた水谷修紀先生(東京医科歯科大学名誉教授・現本基金運営委員長)は、イギリスの白血病研究の権威 メル・グリーブス先生の門を叩き、1984年から86年まで留学しました。 留学中、メル・グリーブス先生の 研究施設は全て一般からの寄付によるイギリス白血病研究基金が運営しており、その施設が日本人の水谷先生に研究の機会を与えてくれた事を知りました。 帰国後、水谷先生は民間からの寄付で国の手の届かないところをカバーし、やる気があって優秀な医師・研究者を支える為に日本白血病研究基金の設立運動を開始されました。
荻村孝氏と血縁である飯田耕作氏(認定特定公益信託 日本白血病研究基金 初代信託管理人)が、海軍兵学校の同期であった小林登先生に「荻村孝記念難病研究振興基金」創立の想いを伝えたところ、共感を頂きました。
その後、小林登先生、高久史麿先生、飯田耕作氏の3人は研究基金の設立に奔走され、ご両親の思いが白血病克服にあったことから、「荻村孝記念難病研究振興基金」を「日本白血病研究基金」とし、その中で最も栄誉ある賞を「荻村孝特別研究賞」とする事で厚生労働省の認可を得ることができたのです。
今日まで、日本白血病研究基金は、多くの支援者の方々のお力で成長を続け、2021年時点で延べ475名の研究者に総計3億4720万円の研究助成の実績を上げております。
日本白血病研究基金初代運営委員長 小林登先生は、2019年12月26日92歳でご逝去されました。ここに心よりご冥福をお祈り申し上げると共に、そのご功績をしのび「小林登賞」を新設することに致しました。
小林登先生
左から水谷修紀先生(現日本白血病研究基金運営委員長)、小林登先生(初代日本白血病研究基金運営委員長)、稲葉俊哉先生(現日本白血病研究基金運営委員)